名古屋鉄道モ750形 755号のこと

2001年9月30日、名鉄谷汲線は76年の歴史に終止符が打たれました。
しかし、地元の人たちや「赤い電車を谷汲駅に保存する会」の熱意と活動により、2002年7月7日、モ755が旧谷汲駅に帰ってきました。
ここでは、当日の様子を少しだけ紹介させていただきます。

廃線前の風景に戻りました。
モ755 旧名鉄谷汲駅 '02/07/07



この日のイベントに先立ち、市ノ坪からのトレーラーによる搬入が7月4日未明に行われ、
駅のホームから200mほど黒野寄りの旧本線上に降ろされました。
ここから人の手で押してホームへ据え付ける、ということを当日のメインイベントとしたわけです。

朝一番(5:30)頃の様子。
天候があまり良くなかったですが、すでに某テレビ局が中継のスタンバイをしていました。
5:40頃、カメラリハーサルのため、モ755をトレーラーで搬入した場所からホームまで押します。
7:20頃、こちらは中継の本番待機中。
ヘリコプターで駆けつけるはずだった さだまさし と くず が喋っている最中かと思われます。
7:24頃、「赤い電車を谷汲駅に保存する会」のメンバーにより、まさに押しています(笑)。
なお、ロープを持っているのは、ブレーキ役の方々です。
電源がなくCPが回りませんので、本来のブレーキが効かないのです。
(ちなみに手ブレーキも効きません。)
ホームの中間あたりまで移動できました。
押している間、カメラもついて来てたんですが、番組のほうは、ほとんどさだまさししか映っていなかったそうです(怒)。

このあとモ755は最初の場所に戻されて、今度は地元のみなさんでホームへ移動させます。

特別にこんなものも見せていただきました。
車内の床の点検蓋を開けると、台車や車輪を見ることができます。

12:00からの地元のみなさんによる電車押しイベント終了後、直ちに
名鉄住商の係員によって、車輌の固定作業が施されました。
早速車内に入った子供たちも楽しそう。(^^)

昼からは天候も回復し、モ755は再び谷汲の地で、太陽の光を受けることができるようになりました。
ずっと大切に保存されていくことでしょう。


モ755

旧名古屋鉄道デセホ755として1928(昭和3)年に日本車輌で落成。
製造当初は車体中央にパンタグラフ・両端にトロリーポールを装備して、名古屋市電にも乗り入れていたとか。
名岐鉄道時代の1932(昭和7)年、僚友756号と共に国鉄高山線に乗り入れ、土休日の柳橋〜下呂間の直通列車に使用された。
これは、谷汲線と時を同じくして廃止となった「北アルプス」のルーツであると共に、車内を一部畳敷きとして運転されたことから、日本における「お座敷列車第一号」という輝かしい経歴を持っている。
(この時の直通運転は、太平洋戦争の戦局の悪化とともに中断される)
谷汲線では特に冬場、車体の前後にラッセルを装備して、降雪時の一番列車として使われたことはあまりにも有名である。



その後の様子


「赤い電車友の会」が集めた寄付金で車体の修復・塗装が行われ、美しくなりました。
また、谷汲村(現・揖斐川町)などの手で、立派な屋根が取り付けられました。
('03/01/04 撮影)